2004年05月23日

何をしていても

 自分の恥話を。

 私は19で信仰の道に入ってから、ずっと決心していました。
 「神のためにすべてを捨てて仕えよう」と。
 で、まぁ、酒は飲まない、自分の趣味は捨てて、正しいことのみに生きようと。

 でも最近、「汚い大人」になったのか、そういう決心はやめました。そういうのは自分を正しい座において、他者を切り捨てている、馬鹿な考えだと思うようになりましたので。

 今の私が考えていることは、「神に仕えているのなら、何やったってOK」というやつです。

 自分に与えられたものすべてを捨てて、型にはまって生きるのは神が私に望んでいる生き方ではないと、そう思うようになりました。

 私は好き勝手に生きることにしました。どんなことをやってもいいのです。ただ一点、「神に栄光を帰する」ことを忘れなければ。

 形式的な倫理で自分と他人を縛るのではなく、自分の信念にできる信仰、倫理をベースにしさえすれば、どんなに馬鹿な生き方でも赦されているんだ、と、そう信じられるようになりました。
 「神の前に、恥じない」と断言できるのであれば、いかなる生き方でも、それは神の前に反しない、と。

 まぁ、こういう考え方をおしすすめると、間違いなく生臭坊主になるのでしょう。そしてそれは私の本懐ではない。
 しかし、私は自分を縛りすぎたのです。もっと、自分らしく生きることのほうが、神に喜ばれるのだと、そう思うようになっただけです。

 とりあえず、自由を正しい意味で活用しようと思っています。神は奴隷意思ではなくて自由意志こそ尊ばれる、とか、勝手に理論武装して。
 ま、自分視点ではちょっと成長したつもりで。ね?
posted by Chesedh at 20:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
Posted by at 2005年03月05日 21:36
押し後残します
Posted by 人妻 at 2008年01月26日 17:35
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