2004年06月30日

スパイダーマン

だいぶ遅れましたが、映画感想第2段〜

スパイダーマン

 2が公開されるということで、遅ればせながら1を拝見することになりまして。
 で。

 むっちゃいいやん!

 はい。かなり感動しました。

 力を手に入れてしまった主人公がその力をなぜ正義のために使うようになるのか。なぜ、彼は自分の力を呪われたものと思いながらも、その力を使ってヒーローになることを選んだのか。

 A great power takes a great responsibility...

 主人公の叔父が語ったこの言葉、そして自分に関係ないと、小さな犯罪を見逃したことから起こる悲劇……。この作品のテーマは「ヒーローの誕生」でした。
 このテーマが実に、私が今企画中のTRPGのテーマとシンクロしまして、もう、涙なしには見られませんでした。

 反面……。なんというか敵の存在はどうもガッカリ気味。あまり共感も敵意も感じられない薄っぺらな敵だったので、正直戦闘は寝ておりました。

 私的にはこの映画はヒーローの孤独と、それでも戦わなければならない理由というだけで評価できるお話でして、騒がれていた空中浮遊感などはあまり感じませんでした。……って私のアンテナが狂っているだけなのでしょうか?

 とりあえず「ヒーロー物」を見たいのでしたら、超お勧めの一品です。

 P.S.……レオパルドンがでてこないよ〜。日本人をなめているのか〜!?
posted by Chesedh at 20:53| Comment(47) | TrackBack(11) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月08日

最近観てきた映画〜

 今日はたか☆ひ狼さんに誘われて、川崎のチネチッタまで映画を見に行きました。そんなわけで最近観た映画の感想を〜。
 今回は、さまざまな衝撃をもたらした問題作、『パッション』を。
(ネタばれ部分は反転してあります。自己責任でお読みください)

『パッション』
 え〜。最初は思ったのです。痛そうなシーンやホラー映画並にびっくりさせる描写でやっているだけの映画なんじゃないかって。というか、私はこの映画を見るのに、最初ちょっと距離をおいておりました。素直には観られなかった、といいますか。
 この映画は、米国公開と同時に猛烈な賛否両論の嵐が起こりました。
「すばらしい!見事な受難物語だ!」という意見。
そして「この映画は反セム主義を助長する!」という意見。
 反セム主義というのはユダヤ人差別主義といいましょうか。一言で言うのはなかなか難しいのですが、西洋では長いこと「ユダヤ人はイエス・キリストを殺した民族だ」という理由でユダヤ人差別が行われてきました。第2次世界大戦のアウシュビッツ、そして、現代においてもユダヤ人に対する根強い差別は続いているわけです。そして、その差別を何とかしてなくしたい、と思っている人は多いのです。
 が、この映画ではユダヤ人がイエス・キリストを殺すシーンが実に迫力たっぷりに描かれるのです。だから、この映画は危険だ、そう警告する人たちがいるのは当然なわけです。
(念のため言っておきますが、キリストを殺したのは「人間」であって、ユダヤ人という特定民族ではないです。そもそも、キリストの死をユダヤ人のせいにしてしまっては、キリストが自分の罪の身代わりとなって死んだ、というキリスト教の信仰は成立し得ないのです。ユダヤ人をスケープゴートにすることはキリスト教の信仰と関係ないことはもちろん、キリストの隣人愛の教えに真っ向から対立することです。……でも、歴史の中でクリスチャンがそういう過ちを犯してきてしまったのも事実。悲しいですね)
 というわけで、私は自分の目でこの映画を観て、自分の判断を下そう、と思ったのですが。
 最初は、痛々しいシーンや、ショッキングなシーンで、もうだめだめでした。しかし、(以下ネタばれ反転)
 まず、キレネ人シモンがキリストの十字架を担がされるシーンから徐々にのめりこんでしまいました。最初、「俺はこの人とは関係ない」といっていたシモンが次第にイエスに、そしてイエスにかかわる人たちがいかにイエスに触れているかを見るうちに、変えられてゆく描写に泣きが入りました。
 また、母マリアが倒れ伏すイエスに駆け寄って「私がここにいる」と言うシーン(このシーンは聖書にはない、オリジナルのシーンなのですが)、思わず泣きが入りました。
 そして、母マリアと福音書記者ヨハネに「それがあなたの息子だ」「それがあなたの母だ」とイエスが告げられるシーンなど、もう滝涙状態でした。

 というわけで、すっかりのめりこんでしまったわけですが、この映画を観て一つ腑に落ちた点がありました。
 それは、イエス・キリストが十字架につけられてたったの3時間で死んでしまったというのはなぜか、ということです。十字架刑とは刑人を長く苦しませることを目的とした処刑方法なのですが、その方法で処刑されたイエス・キリストがなぜそんなにすぐに死んでしまったのか。
 あんだけいたぶられたら、そりゃすぐ死にますわな。
 どうも、私はこんな仕事についていながら、キリストの受難というものを甘く考えていた節があるようです。まぁ、それだけ衝撃的な映画だったわけなのですが。メル・ギブソンがどれだけキリストの受難を苦痛に満ちたものとして受け止めていたのか、それを痛感できました。
 ただ、そう感じるのはひょっとしたら信仰をもっている人だけかも、とも思いました。あそこまで陰惨で苦痛に満ちたシーンを、これでもか、これでもかと流しますと、ただ単に残酷なだけの映画なのか、と思われてしまうのではないか、そう思わされたのです。そしてそれは、この映画単体にたいしてだけでなく、「キリスト教はなんて残酷なんだろう」というようなイメージになるのではないか? なんて思ったりもしました。うがちすぎでしょうか?
 それから思わされたのは、人は受け止めたものをより先鋭化、過激化させて表現するのだ、ということです。(以下ネタばれ反転)
 たとえば、ゴルゴタの丘は切り立った巨大な岩山となり、イエスの死のシーンに至っては神殿の幕が裂けるどころか神殿そのものが裂けてしまっていたりします。こうやって伝承されれば伝承されるほど派手になってゆく。あぁ、これが伝承史的なできごとなのだなぁ、と思わされました。
 ところで、エンディングのスタッフロールを見ていたところ、Nicodemosという名前が。あれ?ニコデモって出ていたっけ? と思ってよくよく思い返してみたら(以下ネタばれ反転)
 サンヘドリンでイエスを皆で陥れようとしていたシーンで、カイアファたちに反対して、「これは茶番だ!」と叫んでいた人物がいましたが、あれでしたか!
というようなことがありまして。スタッフロールを見なきゃ気づかないですよ、普通。

(続く)
posted by Chesedh at 19:58| Comment(3) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年06月03日

なんでだろ?

 なんだか、思春期の中学生が考えるようなことを、30を前にしたおっさんが必死に考えています。


 どうして、人を傷つけてしまうんだろう。

 どうして、大切な人を苦しめてしまうんだろう。

 どうして、自分が間違っていることがわかっているのに直せないんだろう。


 ……あ〜。
 なんだか、文章に書いて、客観的にみたら、すっごく情けないことを考えていたんだなぁ〜、と痛感。
 傷つけたのも、苦しめたのも、直せないのも自分がわかってないからですな。実に単純明快。アホですな、私。
 つか、こんな駄目な自分が人に道を教えようなんて思い上がっている時点で既にダメダメ指数が高いです(そも、教えられるような人格者じゃないし)。
 とか考えるのですが……。

 なんでだろう。

 せめて大切な人を幸せにできるようになりたいなぁ。
 あと、自分の未練、執着を断ち切れるようになれたらいいのに。むずかしいなぁ〜。

(今日の日記は、すっごく鬱々でごめんなさい〜でした)
posted by Chesedh at 18:43| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月27日

感動してしまったよ……

 ヤングジャンプに連載している井上武彦先生の『リアル』今週分を読みまして。

 泣きました。
 件の部分を引用すると以下のようになります(p.44-45)。

「君は怖くないの山之内君」
「あと数年で死ぬってわかってて…」
「どうしてそんなに強く生きられるの」
「……戸川君ジェットコースターに乗ったことある?」
「!?」
「あれって実際乗っている時間はほんの数分かでしょ?」
「だからってあれに乗っている最中に」
「あと何分しかない」
「あと何秒で終わっちゃうって」
「そんなことばかり考えてたら」
「何のために乗ったかわかんないよね」
「何のために生まれてきたかわかんないじゃん」


 私はどうも、甘えていただけなんだなあ〜、とか思うわけです。
 というわけで、私も楽しもう、と思ったわけです。
 結構キッツいですけどね(笑)。
posted by Chesedh at 07:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月23日

何をしていても

 自分の恥話を。

 私は19で信仰の道に入ってから、ずっと決心していました。
 「神のためにすべてを捨てて仕えよう」と。
 で、まぁ、酒は飲まない、自分の趣味は捨てて、正しいことのみに生きようと。

 でも最近、「汚い大人」になったのか、そういう決心はやめました。そういうのは自分を正しい座において、他者を切り捨てている、馬鹿な考えだと思うようになりましたので。

 今の私が考えていることは、「神に仕えているのなら、何やったってOK」というやつです。

 自分に与えられたものすべてを捨てて、型にはまって生きるのは神が私に望んでいる生き方ではないと、そう思うようになりました。

 私は好き勝手に生きることにしました。どんなことをやってもいいのです。ただ一点、「神に栄光を帰する」ことを忘れなければ。

 形式的な倫理で自分と他人を縛るのではなく、自分の信念にできる信仰、倫理をベースにしさえすれば、どんなに馬鹿な生き方でも赦されているんだ、と、そう信じられるようになりました。
 「神の前に、恥じない」と断言できるのであれば、いかなる生き方でも、それは神の前に反しない、と。

 まぁ、こういう考え方をおしすすめると、間違いなく生臭坊主になるのでしょう。そしてそれは私の本懐ではない。
 しかし、私は自分を縛りすぎたのです。もっと、自分らしく生きることのほうが、神に喜ばれるのだと、そう思うようになっただけです。

 とりあえず、自由を正しい意味で活用しようと思っています。神は奴隷意思ではなくて自由意志こそ尊ばれる、とか、勝手に理論武装して。
 ま、自分視点ではちょっと成長したつもりで。ね?
posted by Chesedh at 20:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月15日

不良債権請求督促通達書(督促状)

 いや〜、実物を見てびっくりしましたよ!
 最近流行の架空請求での取り立て詐欺のはがきが私のポストに入っていました。中にはいくつか赤字で書いてある部分があったりしたのですが、まぁ、それを見てみると、面白いこと、面白いこと。

不良債権請求督促通達状(督促状)

……裁判所の許可の下に担当回収員がご自宅に直接お伺いします。

この通達書は最終通告になります


 しかし、やっぱりこれを見たらドキッとしてしまって、電話をしてしまい、わけがわからないままに金を払わされることになってしまうのですね? こういう詐欺がはやっているということは、引っかかる人もいる、って事でしょうからね。
 ……なんだかちょっと怖いですね〜。

ともあれ、有料番組の未納金なんてないので、私は安心してネタにして楽しんでいました。
ま、そんなこともあるなぁ〜という今日このごろ。
posted by Chesedh at 20:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月13日

目が目が目が〜!

「目が目が目が〜!」
はロムスカ・パロ・ウル・ラピュタ氏の名せりふです。

 さて、今日午後2時ごろ。Chesedhがお仕事をしているときでした。一陣の風がChesedhの顔に吹き付けました。

 刹那。

「目が目が目が〜!」

 絶叫するChesedh。
 風に運ばれたごみがChesedhの眼球にダイブしてきたのです。
 痛い、痛いです。いや、ちっちゃなゴミだったらよかったのですが、どうやら敵は大物らしく、しかもまぶたの裏側ににゅるんと入り込んでしまった模様。
 目薬をさしてみてもなかなか取れず、ついには5時の定時になるまで、Chesedhは激しく涙を流しながら、ハードに仕事を続けていたのでした。

 で、眼科に行って取ってもらおうとしたのですが、なんと木曜日には、まして5時過ぎには閉まってしまっているところが多く、セルフたらいまわしの刑に処せられてしまったChesedh。ゴミを取ってもらえたのは6時を過ぎてからでした。
 結局、4時間あまり目にゴミを入れたままでほっつき歩いたせいで、眼球に傷が付いてしまいまして。
 ゴミをとってもらった後も、目がごろごろして大変です。抗生物質の目薬をいただきましたが、今夜はどうも目がかすんで仕方がありませんでした。

 まぁ、目にゴミが入ったくらいでおたおたした私は、いわゆる小物なのですが、それでも、小説などでよく雑魚キャラで催涙弾を打ち込まれたりする人間が出てきますが、彼らのような気持ちをしばし味わうことができました。

 あぁ、くだらないかもしれないですが、大変だったなぁ〜。
 (でも、この程度で「大変だった」といえてしまう私は、人生あまり酷い目にあってこなかった幸せ者なのかもしれませんね)
posted by Chesedh at 23:04| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月12日

スランプっぽい?

 最近、いくら鉛筆を握っていても、絵が描けなかったりします。趣味の絵なら、スランプであれば描かないでいてもいいのですが、さすがにお仕事ではそんなわけにもいかず、うだうだと悩んでおるわけです。
 でもって、今回はちょっと手を抜いたといいますか、自分の画風で絵を描くのではなくてドット絵で表現する、という搦め手で描いてみました。うまくいかないならいかないなりに仕事をしなければならないわけで、これもひとつのやり方だ、と思っているのですが。ま、言い訳っぽいですね。

 とりあえず、毎日ちゃんと絵を描かないと、画力や構成力というのはどんどん落ちていってしまうのですね。ちゃんとがんばらないといけません。

 とりあえず、楽しく絵を描く情熱よ、私にもう一度!

 (とか言っているのは、すでにお門違いかもしれませんが……)
posted by Chesedh at 19:54| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月11日

言いっ放しジャーマン

 嗚呼。

 「忙しひ」とは、
 心を亡くすと書くのだな、
 さう思わせられる日々を過ごし、

 大過なきか、と問わるれば
 「日々健やかなり」と虚勢を張り。

 亡くした心は何処へと行くのであらう?
 亡くした心は「忘」れられてしまふのであらうか?

 ならば悲しひこと、この上ないものだ。

 しかし、過ぎ去りし方に想いを馳せれば
 既に、想い出すこともかなわぬ思いが
 記憶の中の空洞となりて
 その空洞に隙間風がひゅるひゅると抜けてゆくことにも

 気付かず、
 気付かず。

 なんと自分といふものはあやふやなもので
 出来ているのであらう、と。

 かつて大切にしていたであらう
 夢を、幻を、情熱を。

 想い出せぬことが
 情けなくもあり、また、悲しくもあり。

 うだうだとうつむきつつ筆を進める也。


 だが、

 残らぬものには価値がないのであらうか?
 残らぬからとて価値がないわけでもあるまい。

 一時、一時を。
 刹那、刹那を。

 やれやれ、何時より我は刹那主義者と
 なったのであらうか。

 まあ好い。
 少なくとも、今この瞬間を
 力いっぱい生きてやらうではないか!
posted by Chesedh at 19:30| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月09日

体調が悪い〜

 最近、体調を崩していまして。
 昨夜、倒れるように寝て、布団をかぶらなかったのが悪いのか、それとも、連休中に疲れをためたのが悪いのか、いま、体調が最悪です。
 吐き気がする。おなかを壊して下してしまう。
 正直、日記を書いていながらつらいです。気持ち悪くて……。

 明日も仕事ですけれども、こんな体調で大丈夫でしょうか?

 ちょっと心配です。
posted by Chesedh at 20:55| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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